このたび国書刊行会では、メキシコのユカタン半島で生まれた、マヤ語で書かれたラテンアメリカ文学を集成した新シリーズ『新しいマヤの文学』〈全3巻・吉田栄人氏編訳〉の刊行を開始いたします。
本シリーズに収録される「マヤ文学」は、いずれも21世紀に書かれた現代文学です。
《世界文学》志向の現代小説、マヤの呪術的世界観を反映したファンタジー、マジックリアリズム的な味わいの幻想小説集など、代表的なマヤ文学の書き手たちによる傑作を厳選。
マヤ文明の時代から連綿と続くエキゾチックな世界観をもちながらも、旧来の型にはまらぬ清新さを持つ現代マヤ文学の魅力を、地球の裏側から、はじめて日本の読者に向けてお届けします。
今までにない読書の愉しみに満ちた、豊饒なマヤ文学の物語世界を、本シリーズでぜひご照覧下さい。
刊行を記念して、本特集ページでは、上野千鶴子氏(社会学者)と木村榮一氏(神戸市外国語大学名誉教授)にお寄せいただいた推薦文、そしてシリーズ編訳者の吉田栄一氏による刊行のことばを全文公開します。
<特集ページ 目次>
1.第1回配本『女であるだけで』紹介
2.上野千鶴子氏による『女であるだけで』推薦文
3.木村榮一氏によるシリーズ推薦文
4.編訳者・吉田栄人氏による刊行のことば
5.続刊紹介
6.内容見本送付のご案内
【1.第1回配本『女であるだけで』】
21世紀ラテンアメリカ・フェミニズム小説の最高傑作
ある日、夫フロレンシオを誤って殺してしまったオノリーナ。なぜ、彼女は夫を殺す運命を辿ったのか?
オノリーナの恩赦を取り付けようと奔走する弁護士デリアとの面会で、オノリーナが語った数々の回想から浮かび上がったのは、14歳で身売りされ突然始まった夫との貧しい生活、夫からの絶え間ない暴力、先住民への差別といった、おそろしく理不尽で困難な事実の数々だった......
史上初のマヤ語先住民女性作家として国際的脚光を浴びるソル・ケー・モオによる、「社会的正義」をテーマに、ツォツィル族先住民女性の夫殺しと恩赦を、法廷劇的手法で描いた、《世界文学》志向の新しいラテンアメリカ文学×フェミニズム小説。
第1回配本の『女であるだけで』は、メキシコ先住民文学の登竜門であるネサワルコヨトル賞を受賞した、現代マヤ文学の最高傑作の一つです。著者のソル・ケー・モオは世界文学を強く志向し、2019年9月には、来日講演を果たしています。
ソル・ケー・モオ Sol Ceh Moo
小説家、通訳者。1974年、メキシコ合衆国ユカタン州カロットムル村に生まれる。ユカタン自治大学教育学部卒業後、メキシコ文化芸術基金(FONCA)のスカラシップを得て文学の勉強を始める。2012年には法学部に入り直し、人権に関する知識を養う。2018年に法学修士号を取得。主な小説に『テヤ、女の気持ち』(2008年)、『太鼓の響き』(2011年)、『女であるだけで』(2015年、ネサワルコトヨル賞)、『グデリア・フロール、死の夢』(2019年)など、また詩集には『ヴァギナの襞に書いた詩』(2014年)、『処女膜の嘆き』(2018年)、『神々の交接』(2019年)がある。2019年に『失われた足跡』(未刊)で南北アメリカ先住民文学賞を受賞。
【2.上野千鶴子氏による『女であるだけで』推薦文】
「女であるだけで」味わう絶望と希望
上野千鶴子(社会学者)
女の人生はどこでも似たようなものだ。殴られ、蹴られ、牛馬のようにこきつかわれる。
女が男を殺すと「毒婦」と言われるが、女が男を殺すときにはきっとそれだけの理由がある。夫殺しの女は、中南米にも、アジアにも、アメリカにも、日本にもいる。多くの女は、夫を殺さずにすんでいるだけだ。
ソル・ケー・モオの描く女は、土着の、最底辺の女だ。インディオで、しかも女。存在する価値がないと思われている。監獄のなかで初めてことばを学ぶ。法が彼女を裁こうとするとき、彼女からことばがほとばしる。「あんたたちの罪は、あたしたちの存在をずっと忘れていたことなんだ」。法は自分を守ってくれなかった。罪があるのはどちらなのか、と。
彼女を救おうと、さまざまな女たちが手をさしのべる。「女であるだけで」階級、人種、立場の違う女たちが似たような経験をする。そして「女であるだけで」連帯にはじゅうぶんな理由がある。実際にはこんな階級、人種、立場の違う女たちの連帯は、やすやすとは成り立たないかもしれない。だがその「女の連帯」を描くところに、作者の希望がある。
中南米文学を、地球の反対側の遠い世界の作り話だと思わないでほしい。足下の現実を掘り続けると、普遍に達する。もっと掘り抜いていけば、地球の裏側にも達するのだから。
【3.木村榮一氏によるシリーズ推薦文】
われわれが失って久しい世界
神戸市外国語大学名誉教授・木村榮一
今から一万数千年前、われわれの先祖にあたるモンゴロイドの一部が、ユーラシア大陸から陸続きだったベーリング海峡を越えてアメリカ大陸に移り住んだ。当時はまだ人間の住んでいなかった大陸に渡ったモンゴロイドたちは、各地で独自の文明を生み出していったが、その一支流であるマヤ人は紀元前十世紀ごろから長期間にわたってメキシコ南部のユカタン半島を中心にすぐれた文明社会を築き上げた。
特異な宇宙観と神話体系、独自の暦、さらには高度な技術力をうかがわせる石像や神殿などを生み出したマヤ人は、紀元前千年ごろから中米のあちこちに多くの都市を作り出した。しかし、十六世紀以後はスペインによる植民地支配を受け、ジャングルの奥に逃げ込んだ一部の人たちを除いて、マヤ人はキリスト教世界に組み込まれていく。それでも、彼らは独自の世界観を生き続けてきた。
近年、多分にアニミズム的な世界に生きる、そのマヤ人の末裔が、自分たちの言葉で貧しく苛酷な日々の暮らしやそこから生じる苦しみ、あるいはそんな中にあっても人を愛し、いつくしむ心を自らの言葉で語るようになった。われわれが失って久しい世界についての彼らの貴重な証言が、文学作品としてここに邦訳されたことは快挙と言っていい。訳者の吉田栄人氏によれば、ここに紹介されている作品は作者がマヤ語で書き上げ、それを自らスペイン語に訳して出版したとのことである。スペイン語とマヤ語に通暁している吉田氏の手になるこれらの美しい訳書を通して、われわれもまた中米の密林に生きる古代文明の末裔たちの生の声に耳を傾け、彼らの世界に思いをはせることができるようになったのはまことに喜ばしい。
【4.シリーズ編訳の吉田栄人氏による刊行のことば】
マヤ文学とは何か?
吉田栄人 (東北大学大学院准教授)
メキシコ南東部・ユカタン半島からグアテマラ、さらにはホンジュラスやエルサルバドルへと広がる熱帯に生まれた文明。それが古代マヤ文明。古代マヤ人は鉄器を使わずに巨大なピラミッドを建設し、天体の観察から高度なマヤ暦を作り上げ、漢字と同じような仕組みを持つトウモロコシの粒のような形をしたマヤ文字で記録を残した。こうした高度な文化を発達させながら、古代マヤ文明はいつしか熱帯のジャングルに飲み込まれてしまった。なぜ古代マヤ文明は途絶えてしまったのか、その理由はいまだに謎のまま。謎に包まれたジャングルの文明であるがゆえに、都会に暮らす私たち現代人にとって、マヤはアドベンチャラスなロマンを託す場所となる。
では、古代マヤ文明が栄えた場所には現在どんな人たちが暮らし、どんな生活を送っているのか。また、古代マヤ人の末裔である人々はどんな文学作品を書くのか。マヤ人作家たちは決してジャングルの中で作品を書いているわけでも、ジャングルの生活について書いているわけでもない。そもそもマヤ人作家たちはスペインによる植民地支配に組み込まれてしまったマヤ人たちの子孫であり、西洋的な文化を身に着けた人々です。彼らはジャングルに逃げ込むことを諦めたマヤ人の末裔なのです。ただそうしたマヤ人であっても、西洋化の波を被りながらも独自の文化をずっと守り続けてきました。その意味で彼らはその文化的実践の奥深くにジャングルの記憶を留めており、マヤ人作家が書く作品には現代人のロマンを満たしてくれる何かがあるはずです。ただ、それだけが全てではありません。
30以上あるマヤ語系の言語の中でもユカタン半島で話されているマヤ語には、21世紀現在でも80万人以上の話者がいます。植民地時代より、マヤ語はずっとアルファベットで表記されてきました。神話・伝説・口承などを含めれば、「マヤ文学」自体は先スペイン期から存在しますが、「誰かに読まれることを意識して書かれたもの」だけに限定し、しかもそれをマヤ人がマヤ語で書くようになったのは1980年代以降のことです。本シリーズは、ユカタン・マヤ語で書かれた現代文学を紹介するものです。
およそ百年前、ラテンアメリカの作家たちはラテンアメリカ文学の独自性を求めて苦悩していました。アリエル主義と呼ばれるその思想はモデルニスモや自然主義の作品を生み出していきます。それはやがてラテンアメリカ文学ブームを支える魔術的リアリズムへと展開していきますが、その過渡期に、先住民人口の多いメキシコとアンデス地域ではインディへニスモ文学と呼ばれる作品が数多く登場します。先住民の生活や文化が描かれた作品ですが、ペルーの政治思想家ホセ・カルロス・マリアテギが喝破したように、それはメスティソによる文学でした。すなわち、支配的な他者の文化の視点からスペイン語で書かれた文学でした。つまり、そこには本当の先住民は描かれていなかったのです。先住民自身が先住民言語で文学作品を書く時がいずれくるはずだ、とマリアテギは書いています。半世紀以上の時間を要してしまいましたが、今まさにその先住民文学が生まれているのです。
では、先住民作家は一体何を書けばいいのでしょうか。また、本当の先住民あるいはその文化はどのように描けばいいのでしょうか。そこに読者である私たちのロマンを満たしてくれるものを期待しているとしたら、私たちはインディへニスモ文学の作家とさして変わらないでしょう。確かに、自らのうちにジャングルを隠し持った先住民であるマヤ人作家たちはエキゾチックな先住民文化の風土や文化を描くこともあるでしょう。しかし、マヤ人作家たちはマヤ文化そのものをどのように表象すればいいのか、また、マヤ人として生きるとはどういうことなのかを考えるために文学作品を書いているのです。そうした文学は、決してジャングルに関するエキゾチックなお話などではなく、現代社会を生きる私たち読者と同じような悩みを抱えた人間の物語なのです。つまり、それは伝統的なマヤ文化の枠組みを超え、西洋的なオリエンタリズムに囚われない「世界文学」を志向した作品なのです。
本シリーズ《新しいマヤの文学》では、まだ日本では知られていないマヤ文学の代表的な作家のうち、マヤ先住民の風土や文化を物語に織り込みつつも、一歩その枠組みから抜け出した、ソル・ケー・モオやホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチなどによる、「いま」にふさわしい、21世紀以降の特に優れた作品を厳選しました。ユカタン・マヤの地で生まれた新しいラテンアメリカ文学=世界文学を、日本の読者に向けてまとまった形で初めて本格的に紹介する、これまでにない、まったく新しい文学シリーズです。
【5.続刊紹介】
『言葉の守り人』
ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチ
現代マヤ文学を代表する作家で、メキシコ先住民文学協会の会長でもある、ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチによる、実在のマヤの森を舞台に、主人公の少年が経験する通過儀礼を描いた地誌学的ラテンアメリカ・ファンタジー。
2020年3月刊行予定
『夜の舞・解毒草』
イサアク・エサウ・カリージョ・カン
アナ・パトリシア
少女フロールが本当の父親を探しに不思議な女〈小夜〉と共に旅に出る夢幻的作品「夜の舞」と、死んだ女たちの霊魂が語る寓話的作品「解毒草」の2中編を収めた、マジックリアリズム的な味わいの作品集。
2020年5月刊行予定
【6.内容見本送付のご案内】
本シリーズ「新しいマヤの文学」の内容見本を無料でお送りいたします。
ご希望の読者、書店様は
問い合わせフォームよりご請求下さい。
※「新しいマヤ文学」内容見本希望の旨ご明記いただき、ご住所、お名前を必ずご記入ください。
シリーズ『新しいマヤの文学』の特徴
❖ユカタン・マヤの地から贈る、21世紀の新しいラテンアメリカ文学のシリーズ。
❖現代マヤ文学を代表する書き手たちによる、21世紀以降の優れた作品を厳選。
❖日本初の現代マヤ文学の選集シリーズ。
❖シリーズ所収の全作品が本邦初訳。
❖編訳は、マヤ文学・マヤ語研究の第一人者である吉田栄人氏(東北大学大学院国際文化研究科准教授)。
❖ブックデザインは、人気作家・装幀家ユニットのクラフト・エヴィング商會(吉田浩美氏・吉田篤弘氏)による美麗装幀&描き下ろし装画。
❖四六変型判(178mm×128mm)・上製カバー装。
❖各巻2400円+税(予価)。
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