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第26回和辻哲郎文化賞受賞『夏目漱石 眼は識る東西の字』

更新日:2014/03/19

第26回和辻哲郎文化賞を『夏目漱石 眼は識る東西の字』が受賞いたしました。


【和辻哲郎文化賞とは】
 姫路市制百周年と姫路出身の哲学者和辻哲郎(明治22~昭和35)の生誕百年を記念して、昭和63年度に姫路市が創設。和辻哲郎の幅広い学的業績を顕彰し、和辻哲学の今日的意義を国の内外にわたって探るとともに、研究者の育成かつ市民の文化水準の向上に資するために設けられました。
 一般部門は、和辻哲郎が文学、歴史、芸術などさまざまな領域において横断的かつユニークな著作を世に問い、広範な読者に訴えかけたスケールの大きな学者であったことを鑑み、文化一般におけるすぐれた著作に与えられます。





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池田美紀子 著

西欧の文学・美術の潮流に身をおいた外国体験と、たしかな東洋文化の素養のなかで漱石文学は成立した。だがその全体像についてはいまだ解き明かされていない部分が多い。比較文化の視野のなかで作品を味わいつつ、新たな漱石像を構築する斬新な試み。

――近代日本の運命を、世界のなかで見据えた「国民作家」漱石。日本の行く末を指し示し、世に問うたそのテーマは、21世紀の私たちにも語りかける。


【著者紹介】
池田美紀子 (イケダミキコ)
東京都出身。東京大学大学院比較文学比較文化博士課程修了。ハーヴァード大学客員研究員、慶應義塾大学講師、東京女子大学教授、ライデン大学東洋文化研究所客員教授、国立台湾大学客員教授を歴任。


【受賞のことば】
 このたびは栄誉ある和辻哲郎文化賞が授けられましたことを、心より嬉しく思います。私はながく夏目漱石の文学に親しんできましたが、海外で比較文化を教え、学生とともに漱石を読むことを重ねるにつれ、明治の文豪漱石の「偉さ」をますます実感するようになりました。拙書の副題ともなった漱石の漢詩―「眼は識る東西の字」にあるように、文明のはざまで世界をみつめ、日本の運命を思い、明治人として使感もって生きた国民作家でありました。
 和辻哲郎先生は、姫路中学時代に雑誌で『倫敦塔』を読み感動、その後漱石を折にふれ訪問し手紙をやりとりしました。その書簡は、あたかも『こゝろ』の「先生」と学生「私」のように敬慕の情につらぬかれています。和辻は漱石について「先生は眼の作家であるよりも、心の作家であった。画家であるよりも心理学者であった。私は先生が小説家であるよりも寧ろ哲人に近いことを感じる」とも述べています。漱石に近い存在であった和辻先生を紀念する賞に選考され、特別の喜びを与えてくださった関係者の皆様方に深く感謝いたします。




【選考評】 

梅原 猛
 
今回の和辻哲郎文化賞(一般部門)の候補作はレベルの高い作品が多かったが、慎重審議の結果、池田美紀子著『夏目漱石』が受賞作に決定した。
 副題に「眼は識る東西の字」とあるが、驚くのは著者の東西文化への探究心の旺盛さである。そこに東西の実に多くの作家、詩人、画家などが論じられるが、著者は丹念に彼らの著書を読み、絵画を見て、それらを綿密に考証する。
 このような知識欲の旺盛さに圧倒されるが、その結論がまた甚だ大胆である。そこに展開されるのはこれまで誰によっても論じられていない漱石論であり、著者の新しき発見であるといってよい。著者は、漱石がイギリス留学中に世紀末芸術から大きな影響を受けたと考える。そこに登場する「残酷な女神」のイメージが、彼の小説作品に登場する藤尾や美禰子に投影されているという。
 特に圧巻は、漱石がアメリカの作家エドガー・アラン・ポーを論じていることをとりあげた部分であろう。ポーは江戸川乱歩によって推理小説の元祖とされるのであるが、著者によれば、漱石の思想とポーの思想には共通性があるという。漱石がスウィフトを高く評価したことはよく知られているが、漱石はスウィフト以上にポーを評価しているという。漱石はポーを狂気の作家と論じているが、その狂気は『吾輩は猫である』を書いた漱石の狂気でもある。
 このように漱石とポーの類似性を指摘することによって、作家としての漱石は、人間の内面に秘められた不条理を余すところなく暴いたドストエフスキーの如き作家であると著者は考える。著者自らがいうように、これまで漱石をポーと結びつけた論者はいない。まして漱石をドストエフスキーのような性格をもった作家と考えるのはまったく新しい漱石論といえよう。
 論調にいささか荒々しさがあり、私は百パーセント納得したわけではないが、この大胆な漱石論を受賞作にふさわしいと考えた。




山折哲雄

『夏目漱石 眼は識る東西の字』を推す
 漱石が西欧の文学や美術から何を得たか。それを学習し、模倣し、翻訳して、どのような自立の道に進み出ていったか。明治の知識人が直面し、その後の日本の近代が否応なくまきこまれていった試行錯誤の道である。鷗外も逍遥も荷風も、同じ運命の風にさらされていた。
 先例がある。八世紀の空海や十三世紀の道元である。中国文明のふところ深く身を投じた留学体験が、かれらに何をもたらし、何を後世にのこしたか。それが千年の時空をこえて、漱石にどんな影響の影をおとすことになったのか。この場合は、もちろん、西欧文明という手ごわい岩塊が相手である。
 異風の美術は、漱石の眼と感性を驚かせ、エキゾチックな文学はかれの内面に求心的な懐疑の種を植えつけた。本書の著者はその二つの領域に注意深い観察と分析の手をのばし、漱石の人間像を浮かび上らせようとしている。その手法はときに細部にわたって慎重であり、ときに先行研究を撥ねのけて大胆である。
 見どころは、漱石がエドガァー・ポーをどう読み、どのように創作にとりこんだかを論じている点だろう。人間の深層に眠る異常神経と、その断層をたじろがずに凝視するリアルな感覚が、漱石の精神をしだいに呪縛していく。漱石文学におけるポーの発見、といっていいのだろう。
 だが、そんな漱石にどんな逃げ道があったのか。本書の第二の主題である。晩年になって口にするようになる「則天去私」の問題をとりあげ、「天」とはわが身を託すべき大自然を意味し、それにたいして放擲すべき「私」とは小自然である、と読み解いているところが面白い。それがもしも自然に帰一することだというのであれば、その一点において漱石はかつて空海や道元の歩いていた道に近づいていたということにもなるのだろう。絶筆になった「明暗」を分析している場面でも、その旋律がきこえてくる。
 全体の構成に多少の難はあるけれども、たえざる研鑽を重ねた力作であることは間違いないのである。




阿刀田高

多彩で入念
 思えば夏目漱石は明治期の最高の知識人であり、多角的な好奇心の持ち主であった。和漢の英知に通じながら英国留学を契機として、洋の文化を理解し、その価値をさぐることにおいてひたすらであった。それはみずからの文人としての意欲であると同時に、この国の将来についての深い思案と危惧に結びついていた。
 池田美紀子さんの『夏目漱石 眼は識る東西の字』は、このカレイドスコープのようにきらびやかに、多様に育まれた漱石の実相を比較文学的手法により、ユニークな推理を折りまぜて、これもまた多彩に追究したものである。ここと思えばまたあちら、帰納的な思索を駆使してさまざまなものを示唆してくれる。こうした研究は方向性としてはこれまでにも数多くあったが、本書はなによりも広く、豊かに、文学のみならず美術や演劇にまで視野を伸ばし、漱石の多くの作品への言及は当然のこととしても内外の作家について・・・・・・森鷗外、谷崎潤一郎、蕪村、西行、荀子、王維、アラン・ポー、ラフカディオ・ハーン、ドストエフスキー、スタンダール、ゴーチェなどなど、あるときはページを多く費し、あるときは微妙な対比を示して間然するところがない。これだけ入念な考察は特筆されてよい特徴だろう。
 とりわけ漱石とアラン・ポーとの対比は私にとって興味深かった。漱石がこの奇才について関心を抱いていたことは漠然と想像できたが、これだけ特化した考察は珍しいのではあるまいか『こゝろ』と『ウィリアム・ウィルソン』の類似性など、少し牽強付会ではあるまいか、とさえ思ったが、学芸を離れて、こういう感性こそが文芸の独創性を育むことに通じると思い、大きな拍手を送りたくなってしまう。漱石は、ハーンとあまり仲がよくなかったらしいが、ここでの考察は入念でおもしろい。絵画についての漱石の見識もあらためて教えられた。すてきな受賞作を喜びたい。


受賞の言葉、選考評はこちらでもご覧いただけます。
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