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  4. 人間形成における「如来蔵思想」の教育的道徳的意義

ニンゲンケイセイニオケルニョライゾウシソウノキョウイクテキドウトクテキイギ

人間形成における「如来蔵思想」の教育的道徳的意義

発売日 2011/08/22

判型 A5判   ISBN 978-4-336-05414-2

ページ数 264 頁   Cコード 3015

定価 6,820円 (本体価格6,200円)

内容紹介

本書は大乗仏教思想と現代の人間形成理論とのつながりを見出す教育理論研究である。大乗仏教において人間形成はどのように捉えられるのか。わが国の家庭教育、学校教育、社会教育、生涯教育、道徳教育におけるさまざまな課題を検討するにあたって、大乗仏教思想には教育的道徳的意義があるのではないかという仮説を持ちながら、とりわけ如来蔵思想にその意義を見出し、その解明とともに教育実践の場への応用を探求していくことが本研究の目的である。それはわが国の道徳的文化的源泉を追究することにもつながり、さらには新たな教育理論の構築につながるものである。

著者紹介

岩瀬真寿美 (イワセマスミ)

1982年愛知県生まれ。
名古屋大学教育学部人間発達科学科卒、名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程後期課程修了。博士(教育学)。
現在、名古屋産業大学環境情報ビジネス学部講師。

目次

序論
 第一節  本研究の課題と目的
 第二節  如来蔵思想に関する先行研究
  (一)大乗仏教における如来蔵思想の位置
  (二)如来蔵思想と空説の関係
 第三節  インド学仏教学研究からみた大乗仏教の変遷
 第四節  本研究の構成

第一部 「覚」の可能性
 第一章  わが国の人間形成観──鈴木大拙、西谷啓治、久松真一による「覚」の人間像の再検討
  第一節  諸苦を環境に帰属させるか自己に帰属させるか
  第二節  鈴木、西谷、久松による苦の人間像
   (一)鈴木による苦の人間像
   (二)西谷による苦の人間像
   (三)久松による苦の人間像
  第三節  鈴木、西谷、久松による覚の人間像
   (一)鈴木による覚の人間像
   (二)西谷による覚の人間像
   (三)久松による覚の人間像

 第二章  唯識説における自業自得の人間観と「覚」の可能性
  第一節  自業自得を根拠づける唯識説の存在論
  第二節  唯識説における苦の人間存在と覚への人間の変革可能性
  第三節  譬喩にみる唯識説の人間観
  第四節  自業自得の考え方から自己省察と自己変革の議論へ

 第三章 『如来蔵経』における「苦」と「覚」
  第一節  大乗仏教における「現にある人間」と「あるべき人間」
  第二節 「現にある人間」と「あるべき人間」との関係性
  第三節  自身や他人のなかにある「あるべき人間」の可能性に対する信

第二部 「覚」と自己形成
 第一章 『華厳経』における善財童子にみる自己形成観
  第一節 『華厳経』における自然観
   (一)「如来性起品」における如来の出現の相
   (二)華厳教学における事事無礙の法界縁起
  第二節 『華厳経』における自己形成観―善財童子の修道をそのモデルとして
  第三節  事事無礙法界の自然観に裏づけられた善財童子の自己形成

 第二章 「慈悲」からみた自己形成―受けとる慈悲から与える慈悲へ
  第一節  久松による人間の四分類
  第二節  共同体における慈悲・愛憎の次元を超える慈悲
  第三節 『法華経』にみる覚の人間
   (一)仏のはたらきにおける平等性、多様性、他者に対する尊重の精神
   (二)自己が仏になることの可能性
   (三)仏や菩薩の究極目的

 第三章 禅仏教の「十牛図」にみる自己形成観──上田閑照による「十牛図」解釈の再検討
  第一節 禅仏教の人間形成観を示す「十牛図」
  第二節 第一「尋牛」乃至第七「忘牛存人」の漸修的自己形成観
  第三節 第八「人牛倶忘」・第九「返本還源」・第十「入鄽垂手」の相即相入的自己形成観
  第四節 第八「人牛倶忘」が示す平等と第九「返本還源」が示す差別

第三部 「覚」の諸相
 第一章 唯識説における三性三無性説
  第一節 唯識説の大乗仏教史的位置
  第二節 遍計所執性、依他起性、円成実性の関連性
  第三節 『摂大乗論』における三性三無性説

 第二章 仏教における「平等」と「差別」──仏教における女性差別の問題を中心に
  第一節 「真如法身」としての平等と「変化別異」としての差別
  第二節 空と如来蔵と平等の関係性
  第三節 フェミニストたちによる仏教への批判の妥当性
  第四節 男性原理と女性原理の統合

 第三章 『瑜伽師地論』における「自利・利他」についての一考察
  第一節 「利己」対「利他」/「自利・利他」
  第二節 『瑜伽師地論』における「利他の混じらぬ自利」と「自利の混じらぬ利他」
  第三節 「人格の完成」の過程としての「自利・利他」

 第四章 『法華経』の譬喩をつかう道徳授業の可能性
  第一節  如来蔵思想の道徳的意義
  第二節 『勝鬘経』にみる如来蔵思想の特徴
  第三節 『法華経』の譬喩をつかう道徳授業
   (一)「長者窮子の譬喩」をつかう道徳授業
   (二)「衣裏宝珠の譬喩」をつかう道徳授業
   (三)『法華経』の譬喩をつかう道徳授業の課題

終章
 第一節 如来蔵思想とその教育的道徳的意義
  (一)「覚」の可能性のまとめ
  (二)「覚」と自己形成のまとめ
  (三)「覚」の諸相のまとめ

 第二節 如来蔵思想からみた「仏教的教育人間学」の可能性
  (一)「教育人間学」、「教育的人間学」とは何か
  (二)「仏教的教育学」、「仏教的人間学」とは何か
  (三)「仏教的教育人間学」の位置づけ

おわりに
初出一覧
文献一覧

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