書籍詳細
オンナデアルダケデ
女であるだけで
- 発売日
- 2020/02/25
- 判型
- 四六変型判
- ISBN
- 978-4-336-06565-0
- ページ数
- 250頁
定価 2,640円(本体価格2,400円)
内容紹介
ある日、夫フロレンシオを誤って殺してしまったオノリーナ。なぜ、彼女は夫を殺す運命を辿ったのか?
オノリーナの恩赦を取り付けようと奔走する弁護士デリアとの面会で、オノリーナが語った数々の回想から浮かび上がったのは、14歳で身売りされ突然始まった夫との貧しい生活、夫からの絶え間ない暴力、先住民への差別といった、おそろしく理不尽で困難な事実の数々だった……
史上初のマヤ語先住民女性作家として国際的脚光を浴びるソル・ケー・モオによる、「社会的正義」をテーマに、ツォツィル族先住民女性の夫殺しと恩赦を、法廷劇的手法で描いた、《世界文学》志向の新しいラテンアメリカ文学×フェミニズム小説。
解説=フェリペ・エルナンデス・デ・ラ・クルス
推薦のことば
「女であるだけで」味わう絶望と希望 上野千鶴子(社会学者)
女の人生はどこでも似たようなものだ。殴られ、蹴られ、牛馬のようにこきつかわれる。
女が男を殺すと「毒婦」と言われるが、女が男を殺すときにはきっとそれだけの理由がある。夫殺しの女は、中南米にも、アジアにも、アメリカにも、日本にもいる。多くの女は、夫を殺さずにすんでいるだけだ。
ソル・ケー・モオの描く女は、土着の、最底辺の女だ。インディオで、しかも女。存在する価値がないと思われている。監獄のなかで初めてことばを学ぶ。法が彼女を裁こうとするとき、彼女からことばがほとばしる。「あんたたちの罪は、あたしたちの存在をずっと忘れていたことなんだ」。法は自分を守ってくれなかった。罪があるのはどちらなのか、と。
彼女を救おうと、さまざまな女たちが手をさしのべる。「女であるだけで」階級、人種、立場の違う女たちが似たような経験をする。そして「女であるだけで」連帯にはじゅうぶんな理由がある。実際にはこんな階級、人種、立場の違う女たちの連帯は、やすやすとは成り立たないかもしれない。だがその「女の連帯」を描くところに、作者の希望がある。
中南米文学を、地球の反対側の遠い世界の作り話だと思わないでほしい。足下の現実を掘り続けると、普遍に達する。もっと掘り抜いていけば、地球の裏側にも達するのだから。
われわれが失って久しい世界 木村榮一(神戸市外国語大学名誉教授)
今から一万数千年前、われわれの先祖にあたるモンゴロイドの一部が、ユーラシア大陸から陸続きだったベーリング海峡を越えてアメリカ大陸に移り住んだ。当時はまだ人間の住んでいなかった大陸に渡ったモンゴロイドたちは、各地で独自の文明を生み出していったが、その一支流であるマヤ人は紀元前十世紀ごろから長期間にわたってメキシコ南部のユカタン半島を中心にすぐれた文明社会を築き上げた。
特異な宇宙観と神話体系、独自の暦、さらには高度な技術力をうかがわせる石像や神殿などを生み出したマヤ人は、紀元前千年ごろから中米のあちこちに多くの都市を作り出した。しかし、十六世紀以後はスペインによる植民地支配を受け、ジャングルの奥に逃げ込んだ一部の人たちを除いて、マヤ人はキリスト教世界に組み込まれていく。それでも、彼らは独自の世界観を生き続けてきた。
近年、多分にアニミズム的な世界に生きる、そのマヤ人の末裔が、自分たちの言葉で貧しく苛酷な日々の暮らしやそこから生じる苦しみ、あるいはそんな中にあっても人を愛し、いつくしむ心を自らの言葉で語るようになった。われわれが失って久しい世界についての彼らの貴重な証言が、文学作品としてここに邦訳されたことは快挙と言っていい。
訳者の吉田栄人氏によれば、ここに紹介されている作品は作者がマヤ語で書き上げ、それを自らスペイン語に訳して出版したとのことである。スペイン語とマヤ語に通暁している吉田氏の手になるこれらの美しい訳書を通して、われわれもまた中米の密林に生きる古代文明の末裔たちの生の声に耳を傾け、彼らの世界に思いをはせることができるようになったのはまことに喜ばしい。
著者紹介
ソル・ケー・モオ (ソル・ケー・モオ)
小説家、通訳者。1974年、メキシコ合衆国ユカタン州カロットムル村に生まれる。ユカタン自治大学教育学部卒業後、メキシコ文化芸術基金(FONCA)のスカラシップを得て文学の勉強を始める。2012年には法学部に入り直し、人権に関する知識を養う。2018年に法学修士号を取得。主な小説に『テヤ、女の気持ち』(2008年)、『女であるだけで』(2015年、ネサワルコトヨル賞)、『太鼓の響き』(2011年)、『グデリア・フロール、死の夢』(2019年)など、また詩集には『ヴァギナの襞に書いた詩』(2014年)、『処女膜の嘆き』(2018年)、『神々の交接』(2019年)がある。2019年に『失われし足跡』(未刊)で南北アメリカ先住民文学賞を受賞。
フェリペ・エルナンデス・デ・ラ・クルス (フェリペ・エルナンデス・デ・ラ・クルス)
歯科医。1955 年、メキシコ合衆国タバスコ州ウィマンギージョ市に生まれる。ユカタン自治大学卒業。現在は20 世紀のメキシコ国内における先住民の社会運動を中心とするマイクロヒストリーに関する調査研究に従事。ユカタン自治大学付属高校で社会史の教鞭をとる。
吉田栄人 (ヨシダシゲト)
東北大学大学院国際文化研究科准教授。1960 年、熊本県天草に生まれる。専攻はラテンアメリカ民族学、とりわけユカタン・マヤ社会の祭礼や儀礼、伝統医療、言語、文学などに関する研究。主な著書に『メキシコを知るための60 章』(明石書店、2005 年)、訳書にソル・ケー・モオ『穢れなき太陽』(水声社、2018 年。2019年度日本翻訳家協会翻訳特別賞)。
目次
女であるだけで
解説
訳者あとがき