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バンネンノシンランショウニン

晩年の親鸞聖人
高齢者の生き方を学ぶ

宇野弘之 著

発売日 2013/08/05

版型 四六判/並製 / ISBN 978-4-336-05738-9

ページ数 258 / Cコード 0015

価格 1,980円 (本体価格1,800円)

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  •  少子高齢化社会を迎えた今日、日本の将来は危ぶまれる。かつ、自殺者が他殺や交通事故死を大幅に上回り、「生きにくい社会」となっている。このような時代だからこそ、浄土信仰に生きるわれわれは、数々の法難や子善鸞の義絶を乗り越えて90歳の長寿を全うされた親鸞聖人に、生きる糧と智慧を学ぶべきではないだろうか。70歳を迎えた筆者は、特に聖人の晩年の生き方に焦点を当て、これからの生き方を読者とともに考えてみたい。
     序章では、エリクソンのライフサイクル論によって、老年期の位置づけを確認する。65歳から始まる老年期は、驚くほどの長寿社会を迎えた今日、非常に長い。老・病・死が刻々と身にせまっているこの世代が不安を解消し、充実した人生を送るには、信仰が必要であろう。
     われわれに必要な信仰=仏教とはどのようなものであろうか。第1章ではこの基礎をインド仏教に探る。ブッダは初転法輪で説いた四諦は、医者が心身の病を治療する原理と類似している。心の病が蔓延する現代には、医王ブッダという観点が不可欠ではないか。次に、大乗仏教によれば、この世は空であって存在に実体はなく、一切は縁起によって生起している。つまり「共生」しているのである。これに気づくことが「仏教入門の大切な心」であろう。
     第2章では、親鸞聖人が出家してから法然門下に身を投じたころの思想を、当時の社会状況とあわせて概観する。仏教が日本に根づいたのは、社会活動を行ったからである。親鸞聖人の社会貢献=衆生救済は、弥陀の前では念仏1つでみな平等に救われるという思想の実践にある。仏教ではインド以来、女性は五障三従の身であり成仏できないとされてきたが、聖人は弥陀の本願を頼めば成仏できるという。それどころか、社会的に差別されている、戒を守れない「悪人」こそ、弥陀の「本願の正客」なのである。鎌倉時代に主流を占める旧仏教の中にも慈善事業を行う者もいた。しかし、その教えは戒律を強調したものであり、とても一文不知のわれわれになし得るものではない。聖人は専修念仏の法然上人に出会って以来、法然上人をよき師と仰ぎ、師の教え「専修念仏」を徹底していく。煩悩具足のわれわれは、弥陀の本願にすがるしかないのである。
     第3章は、親鸞聖人が主著『教行信証』にもその書写の喜びを記した『選択本願念仏集』から第1章を選び、法然上人が浄土門を選ばれたわけを探ることから始まる。このような教えを受けた聖人の思想は、「三願転入」「平成業成」「二双四重」に結実する。師の教えをさらに発展させた聖人の晩年は、弥陀の誓願に一切をお任せする「自然法爾」の境地にあった。同行が自分よりさきに往生を遂げるなか、悲しむことなく、浄土での再開を胸に、ただただ一切を阿弥陀如来にお任せし、念仏を称える日々であった。晩年になってもなお聖人が繰り返し読んだであろう法然上人の法語・消息・行状を収録した『西方指南抄』の要点を確認し、晩年の聖人を追慕してみたい。
     第4章では、親鸞聖人の晩年十年ほどのあいだに書かれた手紙を10通を読み解き、そこにわれわれ高齢者の生き方を学んでみよう。聖人晩年のお手紙には遺言とも受け止められる精神的遺産の相続が語られ、私たちに感激を与える。
     長寿高齢化社会を歩み続ける御同朋・御同行へのヒントが満載。
  • 序に寄せて
    序 章 高齢社会をどう生きるか
    第1章 仏教とは何か
    第2章 若き日の親鸞聖人
    第3章 親鸞聖人の思想構造
    第4章 親鸞聖人書簡が語る門弟との信仰問答
    あとがき
    参考文献

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