書籍詳細
ブッキョウテキデントウトキョウイク
仏教的伝統と教育
一遍仏教とその周縁とのダイアローグ
- 発売日
- 2014/03/19
- 判型
- A5判
- ISBN
- 978-4-336-05787-7
- ページ数
- 368頁
定価 3,300円(本体価格3,000円)
内容紹介
近代教育制度にしろ教育理論にしろ、欧米におけるキリスト教的精神文化によって支えられている。今日においてもなお、わが国の教育がその固有の教育システムに即して自らの文化的アイデンティティを保って営まれているとはいいがたい。連綿と営まれてきた自らの歴史、特に世界ブランドたる仏教的伝統との対話によって、わが国の歴史的な精神風土のなかに時代を超えて不易なる教育思想を再体験して、欧米からの借り物ではない自前の教育理論を構築する必要がある。
そこで本書では、「無の教育」、すなわち、自立的成長への支援といういわゆる教育という一面を包摂しつつ、他方において真実の自己への回帰、いわゆる内的超越を示すという視点において、次のような課題を明らかにしていく。
日本教育史において仏教の研究は質量ともに立ち遅れている分野である。仏教教育の研究に一遍はほとんど登場しない。鎌倉時代の後期から室町時代の前期にかけて、時宗は禅宗とならんで大きな勢力があり、武士の心情を深く捉えた点では禅宗をはるかに凌駕した。吉田兼好や世阿(弥)も「時衆」圏の人なのである。
如上の研究史上の欠落をまずは埋めるため、一遍仏教とその周縁の教育理念を究明するとともに、それが中世社会においていかに展開していったかを実証的に明らかにする。その後、それを礎石として、「還俗した中世」たる近世の延長線上にあってセキュラリズムのまっただ中の混迷する現代にあえて帰りきたり、日本人にとって有機的な自らの歴史的現実たる中世の仏教的伝統から、現代の教育が見失っているものを照らし返し、近代教育再生に向けてのパラダイム構築への1つの手掛かりとする。歴史の基層からわが国の文化の不易なるものを探り出すのである。しかして、わが国の歴史において世界史的創業の1つに数えられ、しかも普遍性をも有する「鎌倉仏教の頂点」に位置する一遍仏教とその周縁を「無の教育」という視点から主体的に考察する。そして、その含意するものから契機ないしメルクマールを抽出して今日的に還元し、現代の文脈において教育資源として敷衍し、その教育学的意義を考えるのである。
欧米出自の個人主義的な教育学プロパーの領域を離れたユニークな研究である本書は、一遍仏教と兼好や世阿(弥)らその周縁との影響関係を俯瞰するにも最適の1冊である。
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著者紹介
竹内明 (タケウチアキラ)
1942年生まれ。名古屋大学教育学部教育学科卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。
佛教大学文学部助教授・教授などを経て、現在同大学教育学部嘱託教授。
日本仏教教育学会会長などを歴任。現在同学会名誉理事。
この間、名古屋大学・神戸大学・滋賀大学・京都西山短期大学などの非常勤講師兼任。
教育思想史専攻。
主な著作に『乱世の子ども』(共著、第一法規)、『講座 日本教育史』(第1巻、共著、第一法規)、『仏教教育の展開』(『仏教教育選集』第2巻、共著、国書刊行会)、『敦賀市教育史』(編集・監修、全4巻、福井県敦賀市教育委員会)など。
目次
仏教的伝統との教育的対話ーー「まえがき」に代えてーー
序章 意図・課題と方法
第1部 一遍仏教の位相
第1章 一遍仏教の素描
第2章 一遍仏教とその位置
第2部 一遍仏教とその周縁の教育的展開
第3章 一遍の教育的人間観
第4章 一遍仏教に見る真実の自己の形成
第5章 他阿真教の教育思想
第6章 『他阿上人法語』に見る武士の学習とその支援
第7章 隠者兼好の教育思想
第8章 世阿の能楽稽古論
第3部 一遍仏教とその周縁の今日的還元
第9章 後近代の教育への一試論
第10章 ラティオの後に来るもの
終章 約説と補論
あとがき
参考文献一覧
英文要旨