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taninaka_yasunori

000秋の蝶 ひと日、暮近き縁に、秋の庭もせ乱れて、黄菊白菊のさかりもすぎしかと眺めやる時、なにやらむ、すがれし花影より、ひららめきいづるあり、とみれば蝶ひとつ、面影、黄菊にも似て、すえいかにかならむ秋の蝶なぞと、わが身になぞらえ感傷めくも退屈なればにや、思はず、あくびもよほしきて、大きく口あけし時、庭もせさむく迷ひし蝶々の、にはかにわが口めがけて飛びいりしやう覚えたり、これはとおどろき吐かむとすれど、何のさはりも覚えざれば、そのまゝうちすぐる程、頭の中に羽根音めくもの聞えいでぬ、これぞのみこみしまさしく蝶、けふなることぞ仕出かせしと、日頃したしき近所の按摩殿呼びむかへ、蝶のみこみし一条を語り、なるべくばそこねずして、その蝶々、胎外に吐きすつる術もなきかと云ふに、あんまどの、いつもながらのわが酔狂と一笑しつゝ そはいとやすき事なり、おのれの療治にてもみだして進ぜませうと云ふ、しからば早速の願ひと肩さし出せば、わが身よりは見上ぐるばかりの大男、つかみひしぐとばかりうしろへまはり、その大き手のひらもて、わがかうべより肩にかけもみはじめぬ、やがて療治の効能にや、頭かろやかにはばたきもやむ、わが身もつかれのいでこしものか、まどろみにおちいりぬ、幾ばく時ぞ、夢も見ですごすうち、按摩殿の声して、われを呼びさますに、目覚めて見れば、わが身、背にかろき羽根さへ生えて、あわれ、夢の束の間、わが口よりいりし蝶の姿とかはりはつ、あまりにもあやしくして声もえたてである時、按摩の声、遠いかづちのごとくも聞えきて、お望み通り蝶をもみだしおはりぬ、わが身の療治の美事さよと云ふ、されば、蝶はわが身か、わが身が蝶か、按摩どののむくみたるてのひらにはばたけど、わが身はいづちに消えほろびしぞ、あなかなし、身を返せ、身を返せとしきりとさけびいづる時、 わが夜さむの夢はさめてけり、按摩殿も蝶もあらず、わが身ひとつの冬にして、都なるいぶせきうらだなの三畳室に、あまりにもよごれつきたる夜具なればと、きれはぎとればワタをしき寝のあけちかゝりし。『半仙戯』(1933 年)より