ワタシノミタニホンジン

私の見た日本人

パール・バック 著
丸田浩 監修
小林政子 訳

発売日 2013/03/21

判型 A5判   ISBN 978-4-336-05626-9

ページ数 264 頁   Cコード 0098

定価 3,300円 (本体価格3,000円)

【内容紹介】

「とにかく私は日本の人びとが好きなのです」。バックが幼少に過ごした長崎から沖縄~北海道まで日本各地を訪れた体験やエピソード、友人との親交を基に日本を綴り、1966年にアメリカで出版された幻の随想集である。戦後の日本を活写した写真も多数収録。親日・知日家であるバック女史という「鏡」に映し出された一般的な日本人像がそこにあり、戦後をたくましく、元気に生きる日本人の原型を見聞することができる。

【著者紹介】

パール・バック

中国の人々を同胞とし、その文化を紹介、中華人民共和国がいずれ世界の大国となると予見した先駆けの人。生後三か月で宣教師だった両親と中国に渡り42歳まで過ごす。コーネル大学より英語学で修士号を取得。1917年に農業経済学者と結婚、南京の北西の寒村に暮らした経験をもとに1931年に『大地』を著す。1932年にピューリッツア賞、1938年にノーベル文学賞を受賞。1934年、日中戦争の暗雲が垂れ込めると米国に永住帰国。以後、執筆活動に専念し、平和への発言、人種的差別待遇撤廃、社会的な貧困撲滅のための論陣を張った。1941年にアメリカ人、アジア人の相互理解を目的とする東西協会、1949年に国際的養子縁組斡旋機関ウェルカム・ハウス、1964年に養子を生国に留めて保護育成することを目的とするパール・バック財団を設立。1973年、米国バーモント州で80歳の生涯を閉じる。

丸田浩

1967 年、東京大学薬学部卒業、1972 年同大学院で博士号を取得。以後米国政
府の医学研究所(NIH)、エール大学、およびドイツのマックス・プランク研究所
に勤務後、1988 年より2006 年3 月まで豪州にあるルードビッヒ国際癌研究所
の制癌剤開発部長。ドイツのハンブルグ大学付属病院に客員教授として勤務。
主な訳書『免疫学者バーネット』(学会出版センター、1995 年)、『パール・バッ
ク伝』上下巻(舞字社、2001 年)、『テンジン、エベレスト登頂とシェルパ英雄伝』
(晶文社、2003 年)、著作『癌との闘い』(共立出版、2001 年)など。

小林政子 (コバヤシマサコ)

1972年明治学院大学英文学科を中退し外務省入省。1973年〜1975年リスボン大学にて研修。主に本省では中近東アフリカ局、国連局原子力課に勤務。在外ではブラジル、カナダにて勤務。1998年外務省を退職して翻訳を志す。ユニ・カレッジにて日暮雅道氏、澤田博氏に師事。
訳書には、パール・バック著『神の火を制御せよ―原爆をつくった人びと』(2007) 径書房、弊社刊でパール・バック著『私の見た日本人』(2013)、スティーブン・R・バウン著『壊血病』(2014)、『最後のヴァイキング』(2017)、シェイマス・オウマハニー著『現代の死に方』(2018)、ジェームズ・ローレンス・パウエル著『2084年報告書』(2021)など。