ヒロク・ビルマドクリツトニホンジンサンボウ

秘録・ビルマ独立と日本人参謀

野田毅陣中日記  

溝口郁夫 編

発売日 2012/01/19

判型 A5判   ISBN 978-4-336-05486-9

ページ数 336 頁   Cコード 0022

定価 2,970円 (本体価格2,700円)

【内容紹介】

本書は、①ビルマ(現ミャンマー)の独立を陰で支援した日本軍の秘密組織「南機関」野田毅参謀長(当時大尉)の残した秘録「陣中日記」を、地図、写真を交え分かりやすく解説、編集したもの。②昭和十六年の大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の一年前に始まったビルマ工作から、昭和十八年八月のビルマ独立達成までを扱っている。③これまでのビルマ戦史などでは記録しえなかったビルマ民衆の生の声も描写し、ビルマが親日国となった原点を教えてくれる日記で、「一級の史料価値」をもつ。④野田大尉は「要永久保存」と書き残している。⑤激戦、激務のなかで、「いったい、いつ書いたのだろう?」という素朴な疑問とともに、紛失せずによくぞ日記を持ち帰ったことに驚かされる。

野田参謀長とアウン・サンの悲運
①独立達成によりビルマ義勇軍は防衛軍に改編され、アウン・サンが初代司令官となり、後にビルマ独立の父と言われるようになる。②その後、英国の支配下に戻り、昭和二十三年一月四日に再度独立を果たしているが、アウン・サン(アウン・サン・スー・チー女史の父)は、独立の前年七月十九日に兇弾に倒れる。③独立戦争をともに戦った野田大尉は、一月後の昭和二十三年八月二十日にGHQ(連合国軍総司令部)により巣鴨に収監され、新聞の「百人斬り競争」の創作記事を理由に有罪とされ、翌二十三年一月南京で刑死した。 ④野田大尉は、ビルマ独立への思いを「遺書」に綴っている。「私のビルマ時代の活躍の秘史はもう秘める必要はありません。ビルマは既に独立したのですから。刻々迫り来る死期ではありますが、忠臣蔵を読んだり、遺書を書いたり、煙草吸ったり、糞をたれたり、飯はドンブリに相変らず二杯食ったりです。呵々 高橋八郎様 会ってビルマ時代の話をしたかった。小生、南京屠殺事件にひっかけられて、死刑宣告。無実の罪だが、日本が敗れたから仕方がない。私の潔白は知る人ぞ知る。川島さんにも会いたかった。ビルマ独立の秘史を小生と同郷の前田吉彦君が聞きにくる様だったら話してあげて下さい。『死して護国の鬼となる。さらば』。ビルマ時代の諸兄によろしく。」

戦闘以外にアウン・サンや志士たちとの日常の出来事も描く
①アウン・サンを東京から国外に連れ出すため列車を降りたときの場面「門司でアン・サンからちょっと目を離したら、私服の刑事にとっ捕まっていた。『何だ、何だ』と二人の刑事とアウン・サンとの中に割ってはいる。『刑事だ、ちょっと来い』と余とアウン・サンの腕を掴んだ。・・・・・」②東京からの帰途台北市で飲みに行ったときの思い出「アウン・サンが非常に惚れていたので、アウン・サンと結婚させたら日本ビルマ親善の実があがると思ったことがあったがマユミの方では、そう好きでなかったらしい。」③結婚間もないアウン・サンを訪問したときの場面「奥さんを貰っていて相当惚気られた。それで少し冷やかしてやる。」④志士三十名を諸ルートでバンコクに潜入させるのであるが、そのときの一場面「日誌には、『本日商品四個紛失す』と、そして、『紛失せる商品四個を捜査すべく手配す』と、前日にひきつづいて偽りの記入をした。参謀本部には、『ビルマ独立志士四名は船が投錨した直後に水中に飛び込み逃亡してしまった。南機関は、目下全力をあげて捜査中』「長い間部屋に荷物を置いておくと荷物が腐ってしまうので『時には陽に当てろ』と言っておく。」⑤この他、次のような場面も描かれている。
 ・「戦場に架ける橋」で有名なクワイ河流域での国境調査や買収工作
 ・マレー工作の「藤原機関」の動きと藤原参謀との交流 
 ・ビルマ人幹部候補生の育成、叱咤激励、日本への派遣 
 ・歓迎会、送別会、上官挨拶などでの野田大尉の武勇伝 
 ・南機関解消にともなう日本軍との確執と失望

補足、ビルマ(ミヤンマー)と聞いて
①パゴダの聳える仏教の国、「ビルマの竪琴」、自然の豊かな国、などが思い浮かぶ。最近では軍政から民政への移行問題など。②英国の植民地政策の結果、インド人と華僑に金融と商売の主体を奪われ、ビルマ人は脇役に追いやられていたが、戦後、ビルマ独立義勇軍の志士たちは国軍や政財界に主役として復帰した。ビルマを解放した日本にたいする恩義は、今でも忘れてはいない。

【著者紹介】

溝口郁夫 (ミゾグチイクオ)

北海道大学工学部卒、八幡製鉄入社、製鉄所の建設、設計に従事退社後GHQの没収した図書の調査、データベース化に取り組む。主な著作として、『絵具と戦争』(国書刊行会)