BD[ベーデー]は、Bande Dessinee[バンドデシネ]の略で、フランス・ベルギー・スイスなどフランス語圏で読まれるマンガの総称である(原義は、デッサンが描かれた帯、の意)。フランスでは・第九芸術・と称されるほど、芸術性の高いフレンチ・コミックのことを指す。
BD は、19世紀にスイス人ロドルフ・テプフェールが発明した版画文学を祖とし、エルジェの『タンタンの冒険』(1920年代後半)、国民的 BD 『アステリックスの冒険』(1960年後半)などの冒険もの、世界的にも有名なメビウス、エンキ・ビラルなどの SF ・ファンタジーの世界を描く BD は、「アルバム」(オールカラー、大判上製、48ページ)の形式を基調としていた。80年代の雑誌衰退の流れを経て、90年代以降、「アルバム」の作風・形式を廃したモノクロ BD が、ラソシアシオン社を筆頭にした小出版社から刊行され、自伝的要素の強い作風(ダヴィッド・B)や実験的 BD 集団「ウバポ」(潜在漫画工房)の代表作家ルイス・トロンダイムなど、作家性が色濃く反映するオルタナティヴ・コミックスが続々と刊行される(判型が小さくなり、ページ数が大幅に増加)。
〈BD コレクション〉は、こうした新潮流の モノクロ BD 作品の特徴である文学性―小説原作のもの、実験的・自伝的作風―溢れる作品を厳選した、日本初の 本格派 BD 叢書です。
ロシア革命の嵐に翻弄されながら、まさにゴキブリのように生きぬいた男の物語にからむバクチ打ちや娼婦、軍隊やごろつきどもの人間模様――流れるような語りくちのユーモアと皮肉、新感覚のコマ割りと息をのむ描写の美しさで、500ページをじっくり読ませるおもしろさ。現代フランス BD(コミックス)の最良の成果のひとつがここにある。私の好きなラバテの傑作が、すてきな訳でついに出た。嬉しくてならない。
――小野耕世
1961年フランス・トゥール生まれ。フランスを代表するBD作家のひとり。高い画力に裏打ちされた多彩な画風やストーリーテリングには定評がある。これまでに多くのユニークなBDの原作や作画を手がけ、日本でも『モーニング』誌で活躍した。本作『イビクス―ネヴゾーロフの数奇な運命』で、アングレーム国際マンガフェスティバルのAlph-Art 最優秀マンガ本賞を受賞。その他、批評家に絶賛された『小川 Les Petits Ruisseaux』も賞を獲得している(2007年、ACBD批評大賞受賞)。この作品は2010年に映画化され、自ら監督を務めるなどマルチタレントぶりを発揮している。
1967年東京生まれ。早稲田大学他非常勤講師。フランス文学研究のほか、BDに関する著作や翻訳も手がける。著書に『BD―第九の芸術』(未知谷、2010年)、『ジョルジュ・バタイユ 供犠のヴィジョン』(早稲田大学出版部、2010年)。訳書にティエリ・グルンステン『線が顔になるとき―バンドデシネとグラフィックアート』(人文書院、2008年)、ジョルジュ・バタイユ『聖なる陰謀―アセファル資料集』(共訳、ちくま学芸文庫、2006年)。
事情を抱えて港町に流れ着き、水夫の職にありついた男は、週に一度、荷物の詰まった箱を沖の灯台まで運ぶ仕事を命じられる。無人と思しいその灯台には、生まれてから陸の世界を知らずに暮らす者がいることを知らされる。「ひとりぼっち」氏と呼ばれる灯台守に対し、同情と共感が混じった思いを水夫は抱き始める。
沖の灯台でひとり、想像力を羽ばたかせる「ひとりぼっち」氏の秘やかな楽しみとは……?
沈黙の余白、黒い言葉、多彩なグラフィックが目くるめくバンドデシネ作品。
辞書遊びを通じて、いまだ見ぬ世界を欲望し続ける「ひとりぼっち」の男。シャブテの描線は、この“愛による幽閉”に、象徴的なリアリティを添えている。男のすみかは燈台(=ファルス)だ。無残なまでに的確な孤立の象徴。男を支えるのは「想像力」だけではない。言葉(=辞書)という他者こそが、彼の欲望の薪であり糧なのだ。やがて男は「出立」する。想像は去勢され、孤独は破られるだろう。しかし希望とは、そうした残酷さと常に裏腹なのだ。
――斎藤環
1967年フランス・アルザス地方生まれ。現在、注目されているBD作家のひとり。アングレーム、ストラスブールの美術学校に学ぶ。1993年、アル チュール・ランボーの選集〈Les Récits〉にて画業デビュー。98年、パケ社で刊行した『ある夏の日々 Quelques Jours dʼÉté』が翌年のアングレーム国際マンガフェスティバルにて「心臓の鼓動賞」(Alph’Art coup de cœur)を受賞。『魔女たちSorcières』(ル・テメレール社、98年)、『ゾエ Zoé』(ヴァン・ドゥエスト社、99年)、『煉獄 Purgatoire』(ヴァン・ドゥエスト社、03─06年)など魔術的想像力にみちたBD作品を数多く発表している。
1976年東京生まれ。翻訳家・BD 研究家。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程前期課程修了。専門は『タンタンの冒険』(学位論文『Les Aventures de Tintinの技法分析』)。「メビウスはなぜメビウスとなったのか」(『ユリイカ』2009年7月号)など執筆。
ある日、ギベールはひとりのアメリカ人、アラン・イングラム・コープと出会い、親交が始まる。アランの戦争体験を聞いたギベールはBDにすることを申し出る。ギベール30歳、アラン69歳のときだった。
生涯を大きく決定した戦争体験という青春の日々――訓練で出会った戦友たち、フランス・ドイツ・チェコへの行軍で知り合った人びととの交友――を振り返るアランの人生が、淡々と、ユーモラスに彩られていく。
節制された筆致で、戦争のなかの日常の記憶がアランの声とともに再生し、見事に結晶化された、戦争バンドデシネ作品の傑作。
他人の記憶が、自分のもののように思えることがある。作者は、父親ほど年の離れたアメリカ人と出会って、彼の口から湧き出てくる過去の光景に同化しながら、滲みのある独特の線で淡々とそれを生き直してみせた。並列的なエピソードの積み重ねが、最後に大きなうねりになる。ここにあるのは、戦争とは何かといった大きな問いではない。ひとりの人間の生とはなにかについての、最終的な解答のない具体例なのである。
――堀江敏幸
1964年、フランス・パリ生まれ。ENSAD(国立高等装飾美術学校)に短期間通ったのち、6年をかけて、ナチス台頭を描いた野心作『ブリュヌ Brune』を92年に発表。94年には、ヴォージュにて新進気鋭のラソシアシオン系BD作家たちと共同
アトリエを持つ。ラソシアシオン社の雑誌『ラパン Lapin』に本作『アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録 La guerre d'Alan, d'aprè les souvenirs d'Alan Ingram Cope』をはじめ、多くの作品を発表。日本でも『モーニング』誌に作品を掲載。2003年には写真家のディディエ・ルフェーヴルと組み、BDと写真を組み合わせた作品『写真家 Le Photographe』でアフガニスタンの情景を再現した。
1977年神戸生まれ。マンガ研究家。訳書に、ティエリ・グルンステン『マンガのシステム――コマはなぜ物語になるのか』(青土社、2009)。『ユリイカ』(青土社、2008年6月号)に論文寄稿のほか、雑誌『pen』の特集「世界のコミック大研究。」(阪急コミュニケーションズ、2007年、No.204)の企画・構成を手がける。
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アレクセイ・トルストイ原作。ジプシーの女占い師に、自分の出世とひき換えに世界の破滅を宣告された会計士シメオン・ネヴゾーロフ。不吉なさだめ“イビクス”の徴しのもと、ネヴゾーロフは得体の知れない登場人物たちと出会いながら、ペトログラード、モスクワ、ハリコフ、オデッサ、イスタンブールへと漂浪してゆく。
混迷するロシア革命を背景に、しぶとく生き延びるネヴゾーロフの道行きを、悪夢のような幻想的筆致で描いたバンドデシネ作品。